2010年03月16日

父ソルトからの贈り物

 昨日、卒業式を終えて帰宅した後、ソルトがあきに話しかけました。

 「ちょっと話があるんだけどいいかな?」

 ソルトとあきは向かい合って座りました。

 「卒業おめでとう。

  ところであきは、中学からこの女子学園に入る時の事覚えているか?

  あきはそのころ、劇団に入りたいって言ったよね。」

 
 そうそう、小学校5年生の終わりころ、突然劇団に入りたいと言って

 自分で履歴書書いて、写真映してきて貼って、いざポストへ入れる

 までになっていました。

 このころのあきは、なんにでも一生懸命で、突然「海外に行きたい」

 と夏休みに2週間サイパンでホームスティをしました。

 親が心配するなか、後も振り返らずどんどん出国手続きをして飛行機に

 乗り込んでいった後ろ姿が今でも忘れられません。

 そんなあきが、小学校5年生の時、雑誌で劇団員の募集を見て、

 自分でさっさと書類の用意をして、「私、劇団に入る」と言っていました。

 もう今日にもポストに入れようという日、学校から某女子中学のちらし
 
 をもらて来たんです。 そしたら・・・

 「これも面白そうね・・・私にはこの道もありかもね」とか言って

 ソルトに「女子学園に入りたい」と言いました。

 するとソルト「劇団員と女子学園、両方は無理だ。ましてや東京まで出るのに

 時間がかかるこんな田舎じゃ通えないだろ。どっちか一つにしなさい」

 で・・・あきは悩んだ結果

 「女子学園へ行く!」と自分で決めました。・・・でソルトは

 「わかった、女子学園に行くなら劇団員はきっぱりあきらめて学業に専念しなさい。

  ただし、受験しても受からなきゃ入れない。また受かってもパパの自営業が

  その時うまく行っていなければ経済的に入れない。

  その覚悟はいいな?」

  「はい」

  そうして、あきは東京のはずれの女子学園に合格。

  中学から私鉄~JRを乗りついで学校に通い始めました。

  成長するに従って、背が高くなり、親が言うのもなんですが

  学校では「かわいい」と騒がれ、スカウトも何度もされています。

  そんな中、徐々に女子の憧れであるモデルになりたいと思い始めました。

  何度もチャンスがありました。大学に入ってからも某有名なモデルの学校に

  通い、「どうしてもっと早く始めなかったの?」と言われ続けました。

  でも、結局は心の深いところで「どっちか一つ」というソルトとの
 
  約束が最後の決断をさせなかったようです。

  それをソルトは

  「あの約束があきを束縛しているんじゃないか・・・」って

  感じていたようです。

  でも、踏み出せなかった理由はそればかりとは思いませんが
 
  確かに一つの要因ではあったかもしれません。

  「約束したよな・・・学校か劇団か・・・って

   今日、あきは10年間女子学園に通って、卒業したわけだが

   ほんとによくがんばったと思う、片道2時間、往復4時間の道のり

   経済的に傾いた高校3年の時からは家を助けてがんばった。

   行きたい大学に行かせることもできなかったが、

   大学に行って、いっぱいアルバイトして、必要なものは

   自分で賄おうとした。バイトも全力でがんばった。

   資格も挑戦して取った。

   100%じゃないんだよ・・・あきはパパとの約束も最後まで守って

   200%もがんばったんだよ。よくやったね。」

  あきは、目にいっぱい涙をためながらうんうんとうなずいていました。

  「もう、パパとの約束はこれで果たした。

   だから、もう自分の道を行きなさい。

   病気(非定型うつ)の事もあるから、すぐに何かをできる

   わけじゃないかもしれない。

   それでも、もう自由だからそれに向かって行きなさい。」

  と言って、プレゼントの箱を出しました。

 「それで、これは約束を果たしたご褒美と、これからスタートする

  あきへのプレゼント。

  これからの人生で重要な書類を書くときに使いなさい」

  あきが開けてみると、金のローマ字で名前の入った万年筆でした。

  年をとっても使えるようにと万年筆の専門店で求めたものでした。

  「ありがとう・・・でもこれ高かったんじゃない?」

  おいおい・・・お金の心配しなくても(笑)

  「大事に使うね・・・」

  私は「婚姻届とか書くときにいいんじゃない」と言って

  3人で爆笑しました。

  夜、就寝前に、あきが私ところへきて

  「あ~~~ さっぱりしたぁ~

   卒業式終わってなんがかさっぱりしちゃった。

   こんな気持ちになるとは思わなかったよ。

   あと・・・パパからの話もね・・・・」

  と言いました。


  ※下記のバナーをクリックして応援してくださると嬉しいです。

  人気ブログランキングへ
ラベル:うつ 非定型うつ
posted by シュガー at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | マインドフルネス | 更新情報をチェックする

大学卒業式

 昨日はあきの学校生活のピリオドを打つ大学の卒業式でした。

 中学から某女子学園に入学・・・

 大学だけは別のところへと思っていましたが経済的な事もあり

 結局その女子学園に10年間お世話になりました。

 長身のあきですが、やっと見つけた丈の合った袴を着て出席。

 私とソルトと卒業式を見守りました。

 しかし、私の時代は大学の卒業式どころか入学式も親が行くと
 
 「マザコン」とか言われてからかわれたものですが、

 今では、ほとんどの親が入学式も卒業式も来ています。

 でも、女子大学だけに皆さん袴か振袖でほんとに華やかな

 卒業式でした。

 その後、私の実家に行き、祖父祖母に袴姿を見せました。

 大学の先生や、私の恩師(私も同じ学園卒です)、父兄の方々に
 
 「背が高くってかわいいからモデルさんになればいいのに」

 と言われて、ちょっと苦笑いのあきでした。

 
 ところで・・・・

  体調はかなり良いです。

  ほんとに驚くくらいの勢いで回復しています。

  ほぼ、元のあきにもどっています。

  考え方も・・・思考も・・・そして物覚えも戻ってきたようです。

  1回聞いただけの人の名前を、私が忘れて「え~~っと」なんて

  言っていたら「●●さんでしょ」とすぐそばから助け舟を出して

  くれました。これにはほんとに驚きました。

  マインドフルネスを始めたころ(昨年10月ごろ)は、うつの発作に苦しくて

  涙をぼろぼろこぼしながら私に抱きついて呼吸法をしていました。

  その発作も、昨年12月にはだいぶでなくなり、最近はまったく

  ありません。

  体調も崩す時が無いわけじゃないですが、1週間に1~2度

  有るか無いか・・・。あっても夜なので寝てしまったり、

  呼吸法で乗り切っています。

  はじめは、苦しい中呼吸法をして

  「ほんとにこんなことで治るんだろうか?

   いやいや・・・治ると信じてやらなきゃだめね」

  と何度も何度も母娘で確認し合いながらがんばってきたかいが

  ありました。

  大きな歯車を動かす時、大きな力をかけても最初はゆっくりゆっくり

  少しだけしか動きませんが、動き出すと少しずつ加速して、加速を始めると

  ぐんぐんスピードが付いてくる・・・そんな感じの治り方です。

  うつ症状が悪い時は、寂しさや不安から、小さい子供のように

  私にべったりくっついていたあきも、最近ではまったくくっつかず

  私の方がちょっと寂しくなって抱きつくと

  「ママ・・うざい」とか言われます。(笑)

  まったく以前のあきそのままです。(爆)

  卒業式で疲れたかと思いきや、

  「今日は病院の薬を取に行きながら買い物してくるね。

   東京は20度にもなるんだって」と言いながら東京に出かけて行きました。

  昨年5月からの極度の疲れも嘘のように無くなりました。

  翌日に疲れがひびく事も無くなりました。

  マインドフルネスでほとんどの人がうつやパニック障害が良くなって
  
  いるとは言われていましたが、苦しいどん底の時は、

  「皆さん良くなっているって言ってるけど、この子だけは良くならないとか

   合わないとかだったらどうしよう。こんなに酷いのに良くなるんだろうか?」

   って何度も何度も疑いの気持が湧いてきたのは事実です。

   でも、きっと私よりも、あきの方がそう思っていたと思います。

   こんなに良くなるなんて、マインドフルネスに出会ってほんとによかった

   って強く感謝の気持ちでいっぱいです。

   治療はまだまだ続きます。

   次回の通院ではまた減薬しますので一時的に離脱症状が出る

   可能性はあります。

   それでも抗うつ剤は飲んでいないので、減薬が順調に進めば

   良いなと思っています。

002.jpg 

 


  ※下記のバナーをクリックして応援してくださると嬉しいです。

  人気ブログランキングへ
ラベル:うつ 非定型うつ
posted by シュガー at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 近況 | 更新情報をチェックする